北大言語学サークル所属のもけけです。 第2回の今回は、前回確認した「推意」の具体的な例を確認しながら、公理の逸脱の類型についても整理していきます。
概説書などでは、前回の記事で確認したような原理・公理・推意の内容で説明を終えている印象がありますが、個人的には「公理がどのように逸脱されるのか」を考えることも重要だと考えます。
なぜなら、前回の内容を厳密に考えてみると、次のような疑問が生じてくるからです。 すなわち、推意が生じるような発話において、あくまでも会話の公理は破られたままで新たな意味を生じているのか、あるいは推意を考慮した上では再び公理が遵守された会話として捉えられるのかという疑問です。
以下の部分では、こうした疑問について、前回の記事で確認した「言われた事柄」と「推意された事柄」という異なるレベルに分けて整理することで確認していきます。 なお、後注は、この記事を通読した後で(興味があれば)読んでいただくのが分かりやすいかと思います。
グライス(1998: 43-54)、川口(2001)を参考にしながら整理するなら、会話の公理の逸脱は、さらにいくつかの類型として整理することができます。以下で一つずつ確認していきましょう。
一つ目は、「推意を考慮した上では結果的に逸脱は無かったものと判断できるような公理の侵害(violate)」です。
A: 明日ご飯に行かない?
B: 宿題をやらないといけないんだ。Bの返答は論理上は関係のない発話であり、一見すると関連性の公理に反しているように思われますが、この返答を聞いたAは、Bが協調の原理や会話の公理に従っているはずだという前提から「宿題をやらないといけないために食事に行くことはできない」という推意を得ることができます。 このような推意を考慮した上では、結果的に、この会話は関連性の公理に反するものではないと考えることができます。
この類型は、言われた事柄のレベルにおいて見かけの上で公理から逸脱するように見える発話であっても、推意された事柄のレベルでは公理に従っていると想定され得るような類型だと言えます。 結果的に、ここでは、言われた事柄のレベルと推意された事柄のレベルの両方において公理は逸脱されていないと考えることになります。
二つ目は、「ある公理に従った結果として発生する別の公理との衝突(clash)」です。
A: 彼は何時何分頃に帰ってきましたか?
B: 夜だよ。Aが「彼」の帰宅した正確な時刻を尋ねているのに対して、Bの返答は漠然としすぎており、量の公理(1)に反しているように思われます。しかし、この返答を聞いたAは、Bが協調の原理や会話の公理に従っているはずだという前提から「夜に帰ってきたこと以上に正確な情報は知らない」という推意を得ることができます。 このような推意の下では、Bは量の公理(1)よりも質の公理(2)の遵守を優先したのだと考えることができます。
この類型では、言われた事柄のレベルで何らかの公理が実際に逸脱されている一方で、推意された事柄のレベルでは公理に従っている、少なくとも全般的な協調の原理には従っている状態を想定することができそうです。1
三つ目は、「推意を生み出すために(故意に)行われる公理の無視(flout)」です。この場合には「侵害」の例のように当該の発話が結果的に公理に従うということはなく、公理の無視が標識のように働いて推意を生じさせているとも言えそうです。この三つ目の類型に関して、グライスは「利用(exploit)」という表現も用いています。 グライスは、この類型に関しては、ほぼ全ての公理における例を網羅的に列挙することを試みており、逸脱の類型における「無視」の典型性が感じられます。
A: 今日の部長の話、つまんなかったな。
B: 今日は良い天気だ。Bの返答は言われた事柄のレベルで明らかに関連性の公理を逸脱しており、また実際には関連性の公理に従っているのだと考えることも難しそうです。ここでは、関連性の公理を明示的に無視することによって「その話題には関わりたくない」という推意を生じさせています。
A: 俺は盗んだ物を貧しい人に配っていたんだ。
B: 犯罪は犯罪だ。Bの返答は典型的な同語反復の文で情報量はゼロであり、言われた事柄のレベルでは明らかに量の公理(1)に反していると考えることができます。ここでは、量の公理を明示的に無視することによって「Aの行為はあくまでも犯罪だ」という推意を生じさせています。
この類型では、言われた事柄のレベルでは実際に公理が逸脱されているのに対して、推意された事柄のレベルでは公理は遵守されている、少なくとも全般的な協調の原理は遵守されていると考えることになります。2
また、しばしば協調的でない会話や「侵害」の例として「嘘をつく」や「騙す」という行為が挙げられることがあるように思いますが、私見では、これは協調の原理に従いながら質の公理を無視・利用したものと考えるのが適切だと考えます。3
なお、グライスは、そもそも推意を生じないようなタイプの逸脱にも言及しています。それは協調の原理および会話の公理に従うことを明示的に「拒否(opt out)」するような場合です。
A: あいつはどこに行ったんだ。
B: 何も話せない。口止めされているんだ。ここでのBの返答は、会話の公理のみならず協調の原理に従うこと自体をも明示的に拒否しているものと考えることができます。
このように見てくると、今回の冒頭で提示した疑問への一つの回答を得ることができます。 すなわち、グライスの類型に従う限りでは、侵害の場合には公理の逸脱は見かけ上のものに過ぎず、公理は言われた事柄のレベルでも再び遵守されることになると考えられるのに対して、衝突や無視の場合には言われた事柄のレベルで公理が実際に逸脱されており、推意された事柄のレベルでのみ公理が遵守されるのだとして整理することができそうです。4
しかし、こうした「侵害」と「衝突・無視」とを区別するような類型には批判もあります。
川口(2001: 106-108, 110, 113)は、「侵害」の例が「言われた事柄のレベルでの見かけ上の逸脱」であるのに対して「無視」の例が「言われた事柄のレベルでの本当の逸脱」であるとする説明の合理性を疑問視しています。 さらに、公理と原理が遵守されて推意も生じないような通常の発話と「侵害」の例とを公理の逸脱の有無のみによって区別することができないという問題も指摘します。 そして「侵害」の例でも、言われた事柄のレベルにおいては本当の逸脱が発生しており、推意を生じる発話は全て、少なくとも一つの公理を逸脱していることによって、あくまでも区別されるとする考え方を提起しています。
また、川口(2001: 108)は、「侵害」の例が関連性の公理に関してのみ生じるのではないかとも指摘しており、この点からも「侵害」と「無視」を区別する妥当性の低さが感じられます。
このように、グライスによる逸脱の類型には不十分な点もありますが、いずれにしても、公理がどのように逸脱され、原理や公理がどのように遵守されていると考えられるのかを理解することは重要だと言えます。
次回の記事では、グライスの公理が孕んでいる問題点を指摘した上で、後の時代に再編された理論の特徴や長所を紹介します。
(文学部3年 もけけ)